Grand Blaze 幕間その1
披露宴からの帰り道。
レトが煉瓦亭に寄ろうと思ったのは、単なる気まぐれからだった。
もしかしたら、久しぶりに袖を通したスーツをもう少し着ていたかったのかもしれない。
そんな気まぐれからレトは煉瓦亭の扉を開いた。
いつも喧騒に包まれているホールは今は静寂に包まれている。
いつもその喧騒を引き起こしているメンバーが今日は披露宴に行っているのだから、当然だろう。
「こんばんわ」
中に入るとそこにマスターの姿は見当たらず、その代わりにいたのは一人のメイドだった。
レトの方を見て、なぜか固まってしまっている。
それからしばらくして、
「っ! あ、あぁ、えっと、こ、こんばんは」
彼女が少し慌てたように挨拶を返してくる。
その声を聞いて、ようやくレトは彼女が自分の知り合いだということに気付く。
パッチャオ。
フルネームは知らないし、それが本名なのかも知らない。
それどころか性別も知らなかった。
いつもは自分の顔を隠すようにフードを被っている彼女が、今日はメイド服に身を包んでいた。
「あ、パッチャオさん。ここで働き始めたのですか?」
彼女がメイド服を着ていることをさほど気にすることもなく、レトは空いている席に座る。
「あ……う、その、ちょっと、お手伝いをしようかと」
「お手伝いですか。がんばってくださいね」
どこか焦っているような姿が少し可愛らしく見える。
「その服、お似合いですね」
「あ……それは、どうも」
けれど、焦っているのも最初のうちだけで、開き直ったのか慣れたのか。
すぐに彼女は落ち着きを取り戻したようだった。
そんな彼女を笑顔で眺めながら、レトはネクタイを緩める。
「……時にレトさん、それ、正装ですよね?」
黒のスーツに白のネクタイ、胸ポケットにチーフをさしている。
久しぶりの正装姿だった。
「はい。今日は知り合いの披露宴があったので。
久しぶりに袖を通しました」
披露宴の様子を思い出して、自然とレトの表情が緩む。
新郎新婦には末永く幸せになって欲しい。
レトは自分がそう願うまでもないと思うくらいに幸せそうな二人を思い出していた。
「そうでしたか、道理で酒場に誰もいないわけですね。てっきり、何か騒動でもあったのかと」
パッチャオの妙に納得した表情に、レトは思わず笑ってしまいそうになる。
「確かに、ここがこんなに静かなのは珍しいですものね」
レトがそう言うと、パッチャオがこくりと頷いた。
「ええ、本当に」
いつもならこの煉瓦亭というところは喧騒に包まれている。
けれど、それは殺伐としたものではなく、どこか温かみのある喧騒。
「たぶん今日はギルドの方がいつものこちらみたいになっていると思いますよ」
披露宴会場のことを思い出して、レトは断言する。
きっと今頃すごいことになっていることだろう。
「ギルドが……。何か騒ぎが起きなければいいですけど」
彼女も同じことを想像したらしい。
「そうですね。せっかくのめでたい行事ですから、騒ぎが起きないといいですね」
そう言いつつもレトはきっと悪いことは起きないだろうと。
何の根拠もなくそう思っていた。
いや、根拠はきっと皆がそんなことをするはずないと無条件で信じているからだろう。
たぶん彼女もそうだろう。
「酒場のように崩壊でもさせたら、お祝いどころか逮捕騒ぎですからね……」
そう言って、二人で笑いあう。
「今日はギルドマスターも顔を出されていましたから、めったなことはないでしょう」
ギルドの登録以来、久しぶりにあったギルドマスターの顔を思い出す。
温和な顔立ちながら、歴戦の戦士を思わせる雰囲気。
「ギルドマスターが。それはまた珍しいですね。あ、いえ、ギルドで宴なら当然かな」
ギルド全体が一組のカップルを祝福する。
そんな温かさがレトは好きだった。
きっと、ここにいることは幸せなことなんだろうと、そう思う。
「でも、ギルドマスターは誰にも気づかれないように急に現れるので、びっくりしました」
そんなことを面と向かって言うのは恥ずかしかったので、何となくレトは別のことを話題にする。
「冒険者の長と言っても良いくらいの方ですから、相当の実力をお持ちなのでしょうね」
そんなレトの内心に気付いた様子もなく彼女は話を続ける。
「そうですね。さすが歴戦の戦士と言ったところですね」
気配を感じず、気付いた時には披露宴の席に座っていたギルドマスターのことを思い出す。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、けれど素直に祝福していた。
「ええ。気配をまるで感じないというのは、恐ろしいものです」
パッチャオの表情は実感に満ち溢れているように見えた。
きっと自分とは違って、経験としてそれを知っているんだろうな、とレトは感心する。
けれど、今日のギルドマスターについてだけ言えば、不思議と恐怖は感じなかった。
それはきっとギルドマスターに悪意が全く感じられなかったからだろう。
「あぁレトさん、何か飲みます?」
パッチャオがメイド姿にふさわしく、聞いてくる。
「ありがとうございます。熱いお茶をお願いできますか?」
少し、一息入れたかったレトとしては嬉しい申し出だった。
「はい。何茶が良いですか? こちらの大陸は、普段は紅茶でしょうか?」
聞かれてみたものの、レトはお茶の種類についてあまり詳しくはなかった。
種類によって、味が違うのはわかるのだが、どんなお茶がいいというのははっきり言ってよくわからない。
「そうですね。紅茶を飲む機会が多いですね。
でも、せっかくですから何かお勧めのお茶があれば、それをお願いします」
だから、レトは彼女のお勧めを聞いてみることにした。
秦の出身の彼女はどんなお茶が好きなのだろうか。
少し、興味があった。
「ん、そうですか。私は普段、緑茶かほうじ茶ですけど、飲んだことあります?」
名前だけは文献で読んだことはあるが、実際に飲んだことのないものだった。
確か彼女の出身国、秦の国でよく飲まれているお茶だったはずだ。
「 緑茶に、ほうじ茶ですか。名前は聞いたことがありますが飲んだことはないですね」
レトは素直に首を左右に振る。
「そうですか。では、せっかくの機会ですし、両方淹れましょうか」
「両方ですか。ありがとうございます。お願いしますね」
パッチャオがカウンターの奥へと姿を消す。
しばらくして、彼女がお盆にティーポットとカップに似たものを乗せて戻っている。
確か急須と湯飲みと呼ばれる道具だったはずだ。
レトはものめずらしげに道具を眺める。
その目の前でパッチャオはお茶の用意を始めた。
「さて、もう良いかな」
急須にお湯を注ぎ、蒸らした後に湯飲みへと静かに注いでいく。
手馴れているのだろう。
その姿は絵になっていた。
「……はい、どうぞ。まずは緑茶から」
「はい。いただきますね」
レトは湯飲みを受取る。
「へぇ、緑茶というだけあって緑色なのですね」
うっすらとした透明な緑色を眺める。
顔を近づけるといい香りがした。
そのままゆっくりと湯飲みに口をつける。
口の中にじんわりとした温かさが広がる。
「ふぅ。なんだか、落ち着きますね」
体の中だけでなく、どこか心まで温かくなるような温かさだった。
「……おいしいですか?」
そんなレトの様子を彼女はじっと見つめている。
「はい。私の好みの味ですね」
レトは素直にそう答える。
「際立って、強い味がするわけではないのですが、なんだか優しい感じがして好きです」
素直な感想だった。
そんなレトの感想にパッチャオはうっすらと微笑む。
「それは良かった」
彼女ももう一つの湯飲みに自分の分のお茶を注ぐ。
「あぁ、飲み終わりそうでしたら言ってください。今度は、ほうじ茶を淹れてきますから」
「ありがとうございます。ゆっくり味あわせてもらいますね」
ゆっくりと大切にお茶を楽しむ。
「ええ、ごゆっくりどうぞ」
そんなレトにパッチャオは微笑を浮かべて答える。
レトはゆっくりと目を細めながらお茶をすする。
穏やかな空気が流れていた。
会話が弾んでいるわけではない。
賑やかな雰囲気でもない。
こんな雰囲気がレトは好きだった。
穏やかな、心落ち着く時間。
どこにでもありそうで、けれど得がたい時間。
しばらく、二人がお茶をすする音とほぅっと息をつく音だけが聞こえる。
「ほうじ茶の方、お願いできますか?」
緑茶を飲み終えたレトがパッチャオに声を掛ける。
「ええ」
彼女はそれだけ言うと、急須を持って、またカウンターの奥へと向かっていった。
心も体も温かい。
レトは幸せな時間を噛みしめていた。
と、同時に少しの罪悪感も感じる。
きっと今も屋敷の離れで暮らしている妹のことを思い出す。
「お待たせしました。では、失礼して」
それほど時間もたたず、パッチャオが戻ってきた。
そして、空になった湯飲みにまたお茶を注ぐ。
「ありがとうございます。今度は少し香ばしい香りがしますね」
「そうですね、お茶を焙じたものですから、緑茶よりずっと香りがあります」
レトは初めて飲むはずのこのお茶になぜか懐かしさを感じていた。
香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
「この香り、なんだか懐かしい感じがします。初めてのはずなのですが、どうしてでしょうね」
不思議な感覚だった。
「さぁ……。緑茶に比べて純朴な味ですから、そう感じるのかもしれません」
「そうですか。こういう心が落ち着くお茶というのもいいものですね」
殊更に強い味があるわけではない。
そんなお茶がいつのまにかレトは気に入っていた。
レトの正面の席に座ると彼女もまた湯飲みにお茶を注いでいる。
「……私は、秦のお茶ではほうじ茶が一番好きです」
パッチャオが一口飲んではため息をつく。
それは疲れからくるものではなく、心の穏やかさからくるもの。
「えぇ。とてもおいしいですね。それになんだか心が落ち着きます」
レトは幸せそうに目を細めている。
罪悪感は消えないが、いつの間にか弱まっていた。
「紅茶とは違って、秦のお茶はなんだか優しい感じがしますね」
「気に入っていただけたようで嬉しいです」
彼女の笑みにつられてレトも笑顔になる。
「はい。気に入りました。よいものを教えていただいて、ありがとうございますね」
感謝の気持ち。
そこにはこんな時間を共有してくれていることに対する感謝もまたこめられていた。
「……いえ、とんでもない。この程度でしたら、いつでも淹れて差し上げますよ」
「では、また機会があったらお願いしますね」
お互いに笑顔だった。
「ええ、遠慮なくどうぞ」
レトはこくりと頷くと、またゆっくりと湯飲みを傾ける。
じんわりとした温かさが体中に広がる。
そんな風に時間を過ごしながら、レトはふと今更ながらにあることに気付く。
「そういえば、パッチャオさんは女の方だったのですね」
メイド服姿の彼女を見て一番最初に気付くはずだったことに今頃気付く。
それは鈍いレトが悪いのか。
それとも、メイド服が日常茶飯事になりつつある、この酒場が悪いのか。
きっとレトが悪いのだろうけれど。
「え、ああ……言ってませんでしたよね。誰かに聞きました?」
パッチャオがどこか少し戸惑ったような声を上げる。
「いえ、誰かに聞いたわけではないのですが、そんな服を着ておられるので。
それとも、そういう服を着るのが趣味の男の方でしたか?」
冗談交じりにそんな風に言ってみる。
「……レトさんには、どう見えますか?」
少し不安げな表情。
そんな表情はあまり見たくはない。
だから、レトは素直な気持ちを口にすることにした。
「女性の方に見えますよ。似合ってますし」
「そうですか、それは良かっ」
彼女が台詞を言い切るよりも前に。
「それに何よりお綺麗ですから」
言葉を続ける。
ぶはっとパッチャオが音を立ててお茶を噴出す。
ごほごほっと咳き込む彼女にレトはあわてて近づく。
「大丈夫ですか?」
「何を言うんですか。綺麗というのは、姉様、いえ、フェリィさんのような方をさして言う言葉ですよ」
そして、心配そうに彼女の顔を覗き込む。
そんなレトの行動にパッチャオは息を飲むとすっと顔を背けた。
「フェリィさんも綺麗な方ですよね。でもパッチャオさんも綺麗だと思いますよ?」
顔を背けられたことに少し傷つきながらも、レトは言葉を続ける。
「レトさんの純粋さは、時折罪だと思います。
綺麗と、そう言っていただけるのは嬉しいですが」
『罪』という言葉がレトの心に突き刺さる。
また自分は気付かないうちに罪を重ねているのだろうか。
罪悪感に心が沈む。
「罪……ですか?
正直な感想を言ったつもりなのですが」
気持ちが表情にも表れる。
レトの瞳が悲しげに揺れる。
「う、その、罪というのは語弊がありました、すみません。でも……」
そのレトの瞳を見ながらパッチャオは言葉を続ける。
「綺麗とか言った後に、顔を覗き込んだりするのは、その、なんと言いますか……反則です、ずるいです」
その言葉に今更ながらに、妹にも同じようなことを言われたことを思い出す。
けれど、それがなぜ反則なのか、なぜずるいのか。
納得は出来なかった。
「反則で、ずるい……ですか。気をつけたいとは思うのですが、よくわからないのでどう気をつけていいのか」
「えぇ、まあ、相手が相手なら、口説いているようにも思われてしまいますしね」
出来なかった……けれど。
「でも、パッチャオさんが困るのでしたら、がんばって気をつけますね」
彼女が困った顔を見せるのは嫌だった。
だから、精一杯の笑顔と一緒に言葉を紡いだ。
「あの、私、これ片付けてきますから」
けれど、また顔を背けられてしまった。
そして、口説くという言葉がようやく脳裏に届く。
「そ、そんなつもりでは」
彼女はそのままカウンターの奥へと向かっていく。
その途中で不意に振返り、
「レトさんにそのつもりがなくても、そう思う方もいるということですよ。
無論、私は違いますけれど」
そう言った彼女の表情は笑顔だった。
けれど……、なぜかその笑顔はレトの心に突き刺さった。
彼女が去った後になっても、レトは去っていった方向から目が外せないでいた。
「悪いことをしてしまったのでしょうか」
反則です、ずるいです。
その言葉がレトの胸に楔のように突き刺さる。
心配だから顔を覗き込んだ。
綺麗だと思ったから綺麗だと言った。
何が悪かったのだろうか。
わからない。
わからないからこそ、そんな自分が許せなくなる。
人を傷つけておいて、その理由にすら思い当たらない自分が。
どうしようもなく許せなくなる。
そして、傷ついているはずなのに。
顔を背け、その場にいられなくなるくらい。
逃げ出したくなるくらい。
傷ついているはずなのに。
それなのに。
そんなことはないと。
傷ついていないと笑って見せた。
彼女の笑顔が痛かった。
「おじゃまします〜」
そんな風に思い悩んでいたから。
声をかけられるまで、気付かなかった。
振り向くと、同じパーティのレーネがいた。
「何か、考え事でもしてたんですか?」
そんなレトの様子にレーネが心配そうに訊ねてくる。
「考え事といいますか、少し悩み事ですね」
レトの声は心なしか力ない。
自分の言動のせいでせっかくの穏やかな時間を壊してしまった。
その事実がレトの心に重くのしかかる。
「何を悩んでたんですか〜?」
レーネは優しげに聞いてくる。
逡巡する。
自分でわからないからと言って、簡単に人に聞いてしまってもいいのだろうか、と。
けれど、だからと言ってわからないまま、もしパッチャオが戻ってきた時、自分は一体どうしたらいいのか。
「私自身の言動のことです。どうも人に勘違いされるような言動をしているようで」
情けないけれど、レトは縋った。
良いか悪いかよりもまたパッチャオを傷つけてしまうことの方が怖かったから。
「勘違い……ですか?」
「えぇ。あまり女性に向かって綺麗なんて言わない方がいいと言われまして」
だから、素直に聞いてみることにした。
本当は自分で気付くのがいいのだろうけれど、それよりも時間の方が惜しかった。
「ぁー……、なるほど」
レーネが頷いて見せる。
やはり通常ならすぐわかることなのだろうか。
「私としては思ったとおりのことを言っているつもりなのですが……」
自信がなくなる。
もともと自分の言動に自信があったわけではないけれど、不安が強くなってくる。
「んー、まぁ……確かに綺麗とか言うのは、相手に誤解させることありますよ〜」
優しく、諭すような口調。
「言葉というのは難しいですね。
自分の考えを伝えるには言葉を使わないと伝わらないのに。
その言葉で誤解されてしまうのですから」
難しい。
言葉が難しいと。
責任を言葉のせいにしてしまっている。
そして誤解されると相手のせいにしてしまっている。
「いえ、この言葉も間違いでしょうか。
誤解させてしまう、でしょうか」
レトは力なく首を左右に振る。
「レトさんの場合は、誤解というよりは、強調とか拡大解釈のほうが近いと思いますけどね」
強調に、拡大解釈。
レトは口の中で繰り返す。
「んー、もう、単刀直入に行っちゃいましょう。
レトさんがやるように綺麗だとかいわれると、口説かれてるって感じ取ってるのだと思う」
口説く。
やはりそう思われてしまう言動だったのか、と。
レトは肩を落とす。
「普通の男性は、めったに言わないことですからね〜」
少しショックを受ける。
綺麗なものを綺麗だと人はあまり言わないのだろうか。
素直な気持ちを口にすること。
それはいけないことなのだろうか。
「言わないのですか? 綺麗と思ったら綺麗だと素直に口にするものだと思っていました」
やはりわからなかった。
なぜ、どうしてが頭の中から離れない。
「面と向かって言われたら、好意があるものだと思っちゃうものですよ」
レーネの言葉にレトは首を傾げる。
「好意がある人にしか綺麗だなんて言ったりしませんよ」
嫌いな相手のことを綺麗だと言ったりはしない。
好意を持っているから綺麗だと素直に伝えたいと思う。
レーネが少し考えるように間を置く。
そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「普通の好意じゃなくて、それこそ、今日のリフさんとエフィさんのような好意をね」
貫かれた。
貫かれたように感じた。
今日、祝福されていた二人。
その二人の間にあったもの。
自分の思うような好意とは違う。
特別な、もっと特別なもの。
ようやくわかった。
では、
じゃあ、
それじゃあ、
そんな好意を。
そんな勘違いをさせてしまうようなことを言ってしまった自分は一体どうしたらいいのだろう。
「そういうことなのですか。よく、わかりました」
レトは力なくうなだれる。
「だから、うかつにどの人にも言ってると、大問題になりかねませんってお話です」
そう言って、レーネは説明を終わらせた。
「そうするとパッチャオさんには一体なんと言ったらいいのでしょうか」
本当に嫌になる。
自分のことが。
「ぁー……いっそ、自分の思ってること正直に全部言っておくのがいいんじゃないかな……」
こんな情けない自分を見捨てないでくれる。
レーネはそっと言葉を伝えてくれた。
「誤解されるのを恐れるなら、誰か頼りになる人を仲介役においてとかね」
「正直な気持ちを……、誤解されないように仲介役を置いて……ですか」
レトは繰り返す。
言葉を反芻する。
「そうですね。レーネさん。仲介役お願いしてもいいですか?」
レーネはこくんと頷いてくれた。
それだけで少し心が軽くなった。
そして、伝えないといけないと思った。
今度は誤解されないように。
誤解させないように。
きちんと正直な気持ちを。
「戻ってきたみたいですよ」
うながされて見ると、エルヴの女性、フェリィに連れられて、パッチャオが戻ってきていた。
「……レトさん」
どこか思いつめたような顔をしている。
そんな顔をさせてしまっていることが辛い。
「はい。……パッチャオさん」
そして、お互いに視線を合わせる。
「……先ほどはひどいことを言ってしまいました。その、すみませんでした」
「あの、先ほどはすいませんでした」
お互いが謝り合い、お互いが謝られて不思議そうな顔をする。
「……なんで」
不思議そうな顔をするパッチャオに対して、レトはきちんと言葉を伝えることにする。
精一杯、正直に。
「パッチャオさんに言われたこと、やっとわかりました。
口説かれてるって、綺麗って言う言葉を相手に送るのは、特別な好意を抱いている人に対してなんだってことが」
パッチャオが、あ、と何か言いかけて口を噤む。
「自分ひとりで考えてもわからなかったのは少し恥ずかしいのですが……」
真っ直ぐに彼女の目を見る。
「でも、パッチャオさんのことが綺麗だと思ったのは本当です。
特別ではないかも知れないけれど、好意を持っていることも本当です」
綺麗だと思った。
そして、好意を持っていた。
特別ではないかも知れない。
けれど、確かに持っていた。
「ただ、そんな気持ちを素直に言ってしまって、勘違いさせるようなことを言ってしまって、すいませんでした」
頭を下げる。
許して欲しいとか、そういうことは考えていなかった。
ただただ謝罪の気持ちだけだった。
そんなレトの頭を彼女はそっと上げた。
お互いの視線が真正面から合う。
「ありがとう、ございます」
笑顔だった。
それは満面の笑顔だった。
綺麗だと本当に心の底から思うくらいに。
レトの顔が真っ赤に染まる。
「そして、私の方こそごめんなさい。
レトさんがどういう気持ちになるかも知らずに、勝手なことを言ってしまって」
彼女の謝罪が耳に届く。
「さきほどは、どうして謝られるのか分からなかったのですが……。
きっと、私の言葉がレトさんを傷付けたのだと思います」
「そんな……。傷付けてしまったのは私の方です。
パッチャオさんは何も悪くなんかありません」
レトの言葉にパッチャオはゆっくり首を左右に振る。
「私は、別に……ただ、ああいう時、どうしていいのか分からなくて……」
「だから、謝るのは私の方です。本当にごめんなさい」
パッチャオも言いたいことを言って、
「いえ、その……」
レトも言いたいことを言って、
「あの、ですから……」
お互いに次に何を言っていいのかわからなくなる。
お互いにおろおろして、それでも何か言おうとして。
先に口を開いたのはパッチャオだった。
「だから、その、傷つけられたとか、レトさんが嫌いになったとかじゃなくて……」
最初は小さな声。
「レトさんだからこそ、そういう言葉は取っておいてほしいな、と思うんです」
けれど、力強い声。
「私だからこそ……ですか?」
レトはその声を正面からしっかりと受け止めようとする。
「やっぱり、女性にとっては特別な言葉だから」
大切なものを抱きしめるように。
彼女は気持ちを言葉に変える。
「言葉は、口にするたび軽くなってしまう。
食べ飽きた料理と同じように、聞き飽きた言葉は何の感動も呼びません」
その言葉をレトはしっかりと心に刻み込む。
耳ではなく心で受け止める。
「だから……本当に大切な人のために、取っておいてあげて下さい」
優しく、けれど力強く、彼女は言い切った。
「わかり…ました。本当に大切な人のために、その人の心にきちんと届くように大切に取っておきます」
だから、レトも力強く頷いた。
「……なに、偉そうな事言ってるんでしょうね、私は」
パッチャオが少し恥ずかしそうに笑う。
「いえ。ありがとうございます。
真剣に真直ぐに言葉を伝えてくれて嬉しかったです」
嬉しかった。
真剣に真直ぐな言葉を伝えてくれたことが嬉しかった。
「説教みたいになってしまいましたけど……だから、私にも謝らせてください」
真剣な眼差し。
だからこそ、真剣な眼差しで受け止める。
「きっと、私の言葉はレトさんに特別に嫌な言葉になったと思いますから」
そこで一旦、言葉を区切る。
「だから……ごめんなさい」
そして、彼女は頭を下げた。
「私は嫌な言葉だったとは思ってません」
それは本心。
嫌だなんて微塵も思わなかった。
「でも、特別な言葉だったとは思います」
そして、これも本心。
真っ直ぐな想いは真っ直ぐに届く。
その気持ちが嬉しくて。
特別なものだと思った。
「パッチャオさんに謝るななんて言うことは私が言うことじゃないだろうから」
そんな気持ちは傲慢だと思った。
そして、伝えたかった。
許すとかそういうことじゃなくて。
「だから、私から言う言葉は、これだけです」
真っ直ぐ彼女の顔を見て、自分の出来る最大限の笑顔で伝えたかった。
「ありがとう」
その言葉を。
「………」
パッチャオがどこか驚いたような表情を見せる。
そして、表情が笑顔に変わる。
「……これからも、私と友達でいてくれますか?」
笑いながら、けれど少し不安そうに。
「はい。……こちらこそ、私と友達でいてくれますか?」
その表情に不安に思う必要なんてないと伝わるように。
笑顔で答えた。
そして……。
伝わった。
彼女がにこっと笑った。
「……もちろん!」
その表情にレトは安堵した。
ほっとしたその瞬間、抱きつかれた。
「えぅ」
レトの顔が真っ赤に染まる。
後ろの方で背景になりながらフェリィが頭を抱えている。
「よかった……レトさんともうお話できなくなるなんて、嫌ですから」
少し、声が震えている。
けれど、それに気がつく余裕は今のレトにはなかった。
「八角ちゃん、ちょっといい?」
やれやれといった感じでフェリィがパッチャオの肩をつんつんとつつく。
「え? なんですか、姉様?」
パッチャオがレトから腕を放す。
「えっとね、そうやって抱きつくのも、場合によっては面と向かって「綺麗だ」といわれてるのと同じことだよ?」
パッチャオは、はい? と首をかしげる。
それから、
「だから、ああなる」
フェリィの指差す方向を見る。
そこには顔を真っ赤にして目の焦点の定まっていないレトの姿があった。
抱きつくのは特別な相手でなくてもいいのでしょうか?
と、レトの頭の中を疑問がぐるぐると回っている。
「……こちらでは一般的なすきんしっぷというものではないのですか?」
パッチャオは不思議そうな顔をしている。
それにあちゃーと額に手を当てながらフェリィは答える。
「時と場合による、かな……あと相手」
そこまで言われてパッチャオはようやくレトの様子に理解がいく。
「あれ? え?」
それからあわててレトに近寄る。
「れ、レトさん!? 大丈夫ですか? すみません、私、よく知らずに抱きついたりして……!」
脳みそがいい感じに茹で上がっているレトにその声は届いていなかった。
「えぅ」とか「あぅ」とか言葉にならない声を上げている。
その様子を見かねてフェリィが水を持ってくる。
「さ、レトさん。ゆっくりとこれを飲んでください」
水の入ったコップが差し出され。
レトはそれを反射的に受け取る。
そして、ゆっくりと口に運ぶ。
その様子をパッチャオはおろおろと見守っている。
「えと。あぅ」
少しは落ち着いてきたものの、レトの顔はまだ真っ赤だった。
「じゃ、次は深呼吸をしてみましょう〜」
フェリィに言われるままにレトは深呼吸を始める。
そこまでして、ようやくレトは落ち着きを取り戻す。
「……すみません、さっきあれだけの事を言っておいて」
パッチャオはシュンとして顔をうつむかせていた。
「えと、その。嬉しいのですが、パッチャオさんもこういうことは本当に大切な人のためにとっておいた方がいいと思います」
自分もこんな思いを相手に抱かせてしまっていたんだなと、レトは今更ながらに実感していた。
「……はい」
パッチャオはわずかに頬を染めている。
その姿はやっぱり綺麗だ、とレトは思った。
今度は口には出さなかったけれど。
帰途の道に着く。
その前に二人はお互いの気持ちを伝えておくことにした。
「今日はありがとうございました。
色々ありましたけど、パッチャオさんと前よりもっと仲良くなれた気がします」
「 こちらこそ。……はい、私も、そう思います。今日はレトさんとお話しできてうれしかったです」
そう言う二人の顔はどこか晴れやかだった。
〜〜〜今回のオチ〜〜〜
「あ、そういえばレーネさんは……寝て、る?」
パッチャオがレーネの方を見ると、レーネは目を閉じたまま微動だにしていなかった。
つんつんとフェリィがつつくが、反応はない。
「寝て、しまわれたのですか」
というわけで、残された三人で力をあわせてレーネを二階の休憩室に運びましたとさ。
ちゃんちゃん。